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泣いてばかりの保育園児だった…

「発達」に関する講座を受講した時に、

 

保育園に通っていた時のことを思い出しました。

 

 

私は、2年間通園したのですが、

 

その間、

 

一度も泣かない日は、ほとんどなく…

 

保育園に行くこと、保育園にいることが辛くて、

 

しくしくしくしく…

 

泣いてばかりいました。

 

 

 

悲しそうに、しくしく泣き続ける私を見て、先生たちは困っただろうな、

 

と思います。

 

 

給食の時間に、先生が、

 

他の子たちに、「残さずに食べましょうね」と呼びかけた後、

 

私に向かって、「残してもいいからね」

 

と言ってくれたのを覚えています。

 

保育園に来るだけでOKだと思われていたのでしょう。

 

 

 

 

なぜ、あんなに嫌だったのだろう・・・

 

と考え、

 

気づきました。

 

 

 

泣かない日もあったんです。

 

それは・・・

 

イベントがあったり、

 

お遊戯会の前などに音楽や踊りの練習をしたり、

 

何かを作ったりしたとき・・・。

 

-自分がやりたいことがあった時-

 

でした。

 

 

 

自分がしたくないことをしないといけない時に、

 

悲しくなって泣いてばかりいたようです。

 

 

 

 

幼い頃から、枠にはめられるのが大嫌いだったんだ・・・・

 

と気づきました。

 

 

 

その後、

 

“他の人に合わせる修行”を重ね、

 

他の人の評価を気にしたり、

 

世間一般の考え方に合わせたりしようと努力したりし・・・

 

 

でも、やっぱり

 

“自分らしく生きる”

 

というところへ戻ってきたというわけです。

 

 

 

自分がこのような経験をしていましたので、

 

教員時代も、

 

不登校の子たちの気持ちが少しは分かるような気がしましたし、

 

学校へ行きたくないって思うこともあるよね…と、

 

先入観なく接することができたように思います。

 

 

 

私も不登校になった子たちも、

 

適応困難な度合いが強かったのでしょうが、

 

基本的に、人は、誰でも、

 

嫌なことはしたくないものだと思います。

 

 

 

そして、

 

興味のあること、

 

心からやりたいと思うことに対しては、

 

周りの人が驚くほどの集中力で、

 

時間を忘れて取り組むことができます。

 

 

 

ですから、

 

本当にやりたいことを“仕事”にすることができたら、

 

誰でも、その道で、

 

独自のもの、一流なものを創り出すことができるのだと思います。

 

 

 

嫌なことを、忍耐強く、くたくたになるまですることが仕事になっていたり、

 

我慢することができる人が立派だと思われたりすることがありますが、

 

それは、“他の誰かにとって都合のいい人生”だと思います。

 

 

 

-自分だけの人生を、自分の心のままに、自分らしく生きる-

 

自分が、自分の人生の主役になることを、

 

誰もが選ぶことができるのだと思います。