* 見たことない 女川町を 受けとめる *
* 窓ぎわで 見えてくるのは 未来の町 *
* 夢だけは 壊せなかった 大震災 *
* 逢いたくて でも会えなくて 逢いたくて *
* みあげれば がれきの上に こいのぼり *
震災後の5月に宮城県の女川第一中学校(現在の女川中学校)の国語の授業で
生徒たちがつくった俳句だそうです。
授業をされたのは、当時女川第一中学校の教員で、
女川中学校での俳句の授業が書籍やテレビ等で話題となった
佐藤敏郎先生。
ご自身も小学校6年生だった娘さんを津波で亡くされ、
現在は、「小さな命の意味を考える会」代表として、
講演会等でさまざまなメッセージを発信しておられるそうです。
* 見たことない 女川町を 受けとめる *
この俳句を目にして、
佐藤先生も授業中に泣いてしまったそうです。
「悔しいな」「悲しいな」「見たくない」「受け入れない」…
たくさんの言葉がある中で、この子が“たどり着いた言葉”に、
「とにかく目をつぶっても、背を向けても、この悲しみは現実。
受け入れなくてもいいから、とにかく受けとめる。
その後は立ち向かってもいいし、逃げてもいい。」
と教えられたのだとおっしゃられています。
* 窓ぎわで 見えてくるのは 未来の町 *
この時窓から見える風景は、瓦礫だらけだったそうです。
* 夢だけは 壊せなかった 大震災 *
みんなの合い言葉になったそうです。
この男の子の将来の夢は「岩石学者」で、
作品が朝日新聞でも取り上げられたため、
全国から多くの石が送られてきたそうです。
* 逢いたくて でも会えなくて 逢いたくて *
つくったのは、母親を亡くした女子生徒。
授業中に提出しなかったため、
先生が、「やっぱりつらい授業をしてしまった」と思っていたら、
漢字には「あう」が2種類あるので、
どちらにするかを家で考えてきて、次の日に提出したそうです。
* みあげれば がれきの上に こいのぼり *
震災から2か月経ったゴールデンウィークに、
瓦礫だらけの町を下を向いてトボトボ歩いていた時、
「下ばかり向いてちゃダメだ」と思った。
そして、顔を上げると、
壊れたビルの上に誰かが揚げた鯉のぼりが見えたそうです。
他にも心を打つ俳句がたくさんあるのですが、
半年後の11月の俳句についてのお話から…
* 弟と 久しぶりの 大ゲンカ *
しょっちゅう兄弟ゲンカをすることで有名な子だったそうですが、
8か月間全くケンカをしなかったそうです。
5月
* 青い空 見守っていてね いつまでも *
詠んだのは、家族を亡くした生徒だそうです。
11月には、
* 青い空 こっちは元気で やってるよ *
5月
* 春風が 背中をおして 吹いてゆく *
と何かに背中を押されなければ歩けない様子を詠んだ子が、
11月には、
* 女川の 止まってた時間 動き出す *
さらに半年後、ブラスバンド部のこの生徒は、
*あったかい 音のする支援のフルート *
という句をつくったそうです。
震災当時、
「女川は流されたのではない、新しい町に生まれ変わるのだ」
と書いた小学生もいて、
この言葉は、横断幕になり、掲げられているそうです。
子どもたちって、本当に凄いです。。。。
教員をしていた頃も、
子どもたちを指導する立場だとはいえ、
子どもたちに支えられているし、
子どもたちからたくさんのことを教えてもらっているのだと思っていましたが、
子どもたちの純粋さ、精神性の高さ、優しさ、強さ・・・
大人が学ぶことがたくさんあるのだと改めて思います。
* * * * *
今年に入ったあたりから、
次の第5回のチャリティーコンサートは、
第1回、第2回と同じように、東北の被災地の子どもたちを支援する活動に寄付したい
という思いが強くなっています。
子どものうちにあれほどのことを経験した子どもたちは、
優しく、強く・・・世の中に光をもたらす人たちだと思います。
私にできることは多くありませんが、できる限り応援していきたいと思っています。
今日は、一日中、
“被災地の放課後学校「コラボ・スクール」”のことが気になっています。
ホームページを見たり、
運営している「NPO法人カタリバ」からのメルマガを読み直したり、
何度もしているんです。。。。
ですから、決めました!
5月13日の“子どもたちの笑顔のために チャリティーコンサート”は、
チケット代の一部を“被災地の放課後学校「コラボ・スクール」”へ寄付させていただきます。
引用・参照 : みやざき中央新聞 第2685号 , LOVE & HOPE~ヒューマン・ケア・プロジェクト 2016.3.28