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「指導」によって、“悪”をつくってしまわないように…

小学校に勤務していた頃のことです。

ある相談機関の方から電話がありました。

 

要約すると、

「私が相談を受けた人から話をきいたところ、

あなたの学級で確実にいじめがあるから、指導するように」

という内容でした。

 

その件については、学級担任である私も把握していましたが、

捉え方が異なっていました。

 

複数の子どもたちから個別に話を聴いた上で状況を判断すると、

いじめられていると言っている子自身の問題が大きいように感じていました。

 

この連絡がある少し前に、

その子の母親が学校へ相談に来られたことがありました。

特定の子とその子の家族を批判し、自分の子どもさんを正当化することで、

「自分の子育てが間違っているのではないか」

という不安を打ち消したい気持ちがあるのではないかと感じましたが、

その時には、周りの子たちと本人の状況について納得し、笑顔で帰られました。

 

しかし、

話をした時の印象と、その後の対応の仕方との間にギャップがあり、

そのことが私の中で大きな違和感になっていきました。

 

そして、人格が解離することがあるのではないかと思い始めていた頃に、

相談機関から上記のような連絡がありました。

「多重人格」という言葉が使われるなどして、

特別な人のことのように思われたりしていますが、

人格の解離には、様々な段階があり、

正常な範囲での解離というのは、誰にでもあることです。

 

ただ、それが少し深刻な状態になっている方の場合、

納得した様子だったのに、急に激高するといったように

急に態度が変わることがあるので、

教員としては、非常に戸惑い、対応が困難になります。

 

解離は、自己防衛のために起きますから、

強いストレスを感じる何らかの状況、あるいは、言葉等によって、

急にスイッチが入ったかのように激高します。

 

この方の場合、

家庭の中で、「子育ての仕方が間違っている」と非難される状況もあったようですので、

「自分の子育てが間違っている」と感じる場面、

あるいは、

「あなたの子育ては間違っている」と非難されるのではないかという恐怖を感じる場面で、

人格が解離したのではないかと思います。

 

ですから、相談機関で、

「それは、ひどいいじめがあるから、

いじめている子たちを指導するように学校へ伝えます」

といった内容のことを言ってもらったことで、

「自分の子育てが間違っているのではないか」という不安と向き合わずにすみますから、

相談機関の方を頼りたいという気持ちになったのだろうと思います。

 

 

しかし、

本来問題のあるところから目を背け、

問題のないところへアプローチしても、何の解決にもなりませんし、

かえって波が立ちます。

 

その子自身、思い込みが激しい傾向があり、

「いじめられている」と言えば、

母親が自分のことを心配してくれるということで、

母親の気を引きたいために起きたことという面もあったので、

もともと存在しない“いじめ”は、なくなるわけもなく、

その親子にとっては、余計に苦しい状況になってしまいました。

 

そして、

相談機関の方も、数ヶ月間後、

その子が言っていることが、つじつまが合わない…

お母さんにも、カウンセリングが必要なようだ…

と気づかれたようでした。

 

 

何かトラブルがあった時、

一方の話を聞いただけで判断をすることは、

本質とかけ離れてしまう可能性が高いと思います。

 

双方の話、周りにいた子たちの話を聞いたとしても、

実際に何が起きたのかが明確にならないこともあります。

 

「記憶」というのは、とてもあいまいです。

誰でも、自分に都合のいいように解釈したり、思い込みに従ったりしたものを

記憶してしまうことが多くあります。

そのため、嘘をついているつもりはなくても、

それぞれの子が異なったことを言うことも結構あります。

 

ですから、

どちらが(誰が) “悪”かをジャッジしようとするのではなく、

誰もがそれぞれ思いを持って生きているのだということを尊重した上で、

双方が納得する状況になることをサポートするのが

周りにいる大人の役目だと思います。